高エネルギーニュースへのICHEP2000報告

2000年9月12日
大阪大学理学研究科 長島順清

第30回高エネルギー物理学国際会議(通称ICHEP2000)が、2000年 7月27日(木)から8月2日(水)までの一週間、大阪市国際交流センターで開か れ、36カ国950人(日本国内からは280人)、同伴者260人が参加して盛況 のうちに終了した。ここで、会議の概要と主な話題について簡単に報告する。

1.会議の性格

この会議は、第1〜第7回が米国ロチェスター市で開かれたので通称ロチェスター 会議とも言われる。最初の数回は比較的少人数のローカルな集まりであったが、次第 に増大して国際化し、現在では高エネルギー物理学界で世界最大の会議となった。隔 年に開かれ、当初は高エネルギー物理学の盛んな北米地域、欧州地域、旧ソヴィエト 圏の持ち回りであったが、12GeV陽子シンクロトロン稼働開始による日本の世界 高エネルギー物理学社会への仲間入りを祝して、1978年の第19回会議が、始め て域外の東京で開催されたと言う経緯がある。今回の開催は実に22年ぶりの日本開 催、アジアでは第3回目の開催となる。

会議は、世界規模での物理学会年会と言う性格が強いが、近年は実験関係、それも 大グループの寄与が優勢となっている。また学問の進歩を反映して宇宙物理、天体物 理学、重イオン物理学など学際的なトピックも含まれるようになってきた。前半の3 日間は分科会として5〜6会場に分かれて個別の研究発表が行われ、後半3日間で各 分野のまとめの総合講演が行われる。今回は全部で345の分科会発表と24の総合講演 があった。

この会議は、国際純粋-応用物理連合(IUPAP)主催の会議であり、高エネルギー物理 学分野はC11分科会の傘下にあるが、他の分野と違って招待制をとり、地域別国別 のクォータの範囲内で、各国のリエゾン・コオーディネーターによる推薦に基づいて 参加者を絞っている。IUPAP主催であるため幾つかの条件が課せられている。原則は 、各国、各個人研究者が平等に参加する権利があり、また分野も偏ってはならないと いうことである。具体的には、さらに下に述べるような項目がある。

1)政治的、宗教的その他の理由で参加者の差別をしてはならないこと。
2)講演者選択などについて地域のバランスを取ること。
3)途上国の参加者を援助して参加国を増やす努力をすること。
4)一般講演など啓蒙活動の努力をすること。

一番シビアなのが1)の条項で、冷戦時代には共産圏の研究者へのヴィザ発行など 大きな問題であったし、昨年は核爆発実験に関連して、米国がインド科学者へのヴィ ザ発行を拒否した会議があったとか聞くが、幸い今回はそのような苦労はなかった。 2)に関しては、重要な参加者(総合講演者、分科会コンビーナー、座長など)につ いて総合的なバランスを心がけたが、科学的な見地からの選択とは必ずしも一致せず 、プログラム委員会は苦労した。時代の流れで、さらに女性科学者の存在感を高める ことも要請されたが、結果的には総合講演者と座長に二人入れることができただけで あった。

途上国参加者にたいしては、IUPAPから一部補助金が出る上、アジア地区での 開催と言うこともあり、主催者側としても力を入れたいところであった。渡航旅費は 支給しないが、登録料免除、滞在費支給と言う原則で応募を受け付けた。21カ国8 1人の応募があり、ロシア、インド、中国が特に多かった。30人を認めたものの渡 航費の工面が付かない等の理由で辞退があり、最終的に援助したのは16カ国26人 であった。途上国とはいうものの、ここ数年はロシア、東欧の国も対象になっている 。これらの国からは研究所の所長クラスが応募することもあり、主旨にあわない思い もしたが、このような参加者に対しては、幸い学術会議の旅費援助枠を使うことがで きた。寄付集めなど収入総額の見通しが付かなかったので、限度枠を設けざるを得な かったが、結果的には援助者をもっと増やせたのにと言う思いが残った。4)につい ては後で述べる。

2.会議の準備と運営

体制と枠組: 会議は、日本学術会議と日本物理学会の共催、高エネルギー加速器 研究機構と大阪大学の後援で行われた。運営は、関西圏の大学、大阪大学、神戸大学 、京都大学、大阪市立大学、近畿大学、奈良女子大学の高エネルギー実験・素粒子論 グループとそれにKEKからの協力者で行われた。会議の日本誘致は1997年の夏 、ハンブルグでレプトンフォトン国際会議が行われた際のC11分科会で決定された 。学術会議の共催申請はC11への誘致申請と平行して行い、1998年3月に承認 され、さらに閣議了解が得られたのは1999年6月であった。学術会議の共催がな くても会議は開催できるが、規模の大きい会議では、国の認可により運営がやりやす くなる。企業寄付を免税措置とするため、日本学術振興会に寄付受付の窓口をお願い した。会場に関しては、この規模の国際会議を行える施設は大阪市でも数が少なく、 選択肢はあまりなかった。周辺ホテルとレストランの充実度、繁華街・文化施設への アクセスの容易さを考慮して、市街地の中心にある大阪国際交流センターに決めたが 、会場面積のゆとりという点では多少我慢せざるを得なかった。

1997年8月から1999年10月に掛けて、計12回の準備委員会を開催して 計画の詰めを行い、1999年10月、学術会議の認可のもとに組織委員会を立ち上 げた。組織委員会はこれまで3回開催した。4回目には終了宣言をして解散する。組 織委員会立ち上げと同時に、総勢ほぼ30人のスタッフからなる種々の実行委員会を 組織し、具体的な作業を始めた。連絡はもっぱらEメイルに頼ったが、大阪大学グル ープは毎週ミーティングを開き、必要に応じて他のメンバーが参加した。本会議期間 中は、近縁の大学、研究所から大勢の秘書を借り受け動員し、また80数名の学生ア ルバイトを雇った。

参加者:

第1回のブレチンと招待状は2000年の1月25日に発送した。追加招 待も含めて〜1350人に招待状を出し、949名の参加者があった。主な国の参加 者数は、日本278、米国186、スイス105、ドイツ71、イタリー56、フランス57、イギ リス37、スペイン16、中国15、カナダ14、ロシア13、韓国13、イスラエル10で他は全 て10以下である。第2回のブレチン発送は6月初旬、第3回ブレチンは会場渡しであ った。種々の申し込みや支払い状況、参加に必要そうな情報などは、自動E-メイル 、ウエッブ、ブレチンなどを用いて頻繁に参加者に提供したので、参加者からの問い 合わせは少なく抑えることができた。

プログラム作成:

プログラムは、パラレルセッションの題目とコンビーナー各2名 、総合講演の題目と講演者候補について、国内プログラム委員会で大筋の案を作った うえで、国際メンバーおよび国際諮問委員会(International Advisory Committee) の意見聴取、候補者推薦を受け、承認を取るという経過で行った。1998年10月 から2000年3月にかけ計6回のプログラム委員会を開催し、2000年3月には コンビーナーと総合講演者をほぼ確定し、6月半ばにはプログラムを発表した。総合 講演の座長は、C11と国際諮問委員会メンバーの中から選んでお願いした。総合講 演者24人、コンビーナー30人のうち、日本人総合講演者4名、コンビーナー5名 であった。

参加者へは、発表したい内容のアブストラクトを5月1日締めきりで送ってもらい 、プログラム作成の参考とした。論文提出締め切りは7月1日とした。パラレルセッ ションへのアブストラクト提出数は全部で1025編、実際の発表者数は341となった。 パラレルセッション内での個々の発表の選択は、時間の枠内でコンビーナーに一任し 、会議中の座長もコンビーナーにお願いした。総合講演への論文提出数は390編であ った。

論文提出数が少ないのには訳がある。従来は印刷論文を郵送してもらい、会場での 閲覧を行っていたが、ネットワークの発達した現在、会場での閲覧の意義が薄れたこ とと、提出してもプロシーディングに載せられないと言う事情がある。さらに、大実 験グループには、暫定データを会議には発表してもプリントにはしたくないと言うお 家の事情がある。したがって、今回は基本的には論文をロスアラモスのプレプリント アーカイブに登録してもらい、主催者側には登録番号のみを知らせるという方法を採 った。また、大グループには、ICHEP2000提出論文と言うタイトルを付け、かつ内容 は変えないと言う条件で、当該グループのウエッブページに掲載し、そのURL番号 を主催者側に登録することを認めた。主な大グループのアブストラクト提出数を掲げ る。

ALEPH(66)、DELPHI(79)、L3(60)、OPAL(128)、SLD(21)、 H1(69)、ZEUS(52)、CDF(10)、D0(23)、CLEO(27)、Belle(17)、 BaBar:(15)

会議運営:

参加者からは出席したいセッションのアンケートをとり、プログラム作 成の参考にした。これは、パラレルセッションへの参加者分布を知るためで、100 0人参加の会議では、400人収容の会場が4つあればまず問題ないが、大阪会場では 1000人の大会場が一つ,250人の中会場が二つ、200人の小ホールが一つ、 100人の小会場が二つであった。したがって、人気のあるセッションを見極める必 要があったのである。結果的にアンケートを正しく読んだとは言えず、小ホールで行 われたニュートリノの分科会では多くの聴衆が会場には入れず、廊下やロビーにあふ れるという事態が生じた。これ以外は、会場の割り振り、プログラムの進行はスムー ズに行き、どの会場でもほぼ予定時間通りに進行・終了した。プリーナリーセッショ ン時は、中会議室でもビデオ映像を見られるようにした。

ドリンクサービスや休憩時間の歓談の場は、700人収容可能の吹き抜けのアトリ ウムであった。各会場に囲まれ周囲から一望できる配置は、探し人を見つけるのに理 想的で、参加者が気分良く過ごすのに大いに役立ったようである。

参加者のEメイル/ネットワークアクセス用には、Linux を使用できるコンピュー ター約60台と持参のパソコンを接続できるケーブル40本を用意し、一部を講演者 専用に確保した。各セッション終了直後に数人の行列ができた以外は、利用者は常時 待ち時間なしにアクセスできたようである。会場からは1.5Mbps の線を通してインタ ーネットプロバイダーにつないだ。実際に使用されたバンド幅はその約半分であり、 海外との接続も非常に快適であった。

講演OHPのコピーサービスは一切行わなかった。そのかわり、講演終了後にOH Pをスキャナーで読み込み、ウエッブに載せた。7台のスキャナーを駆使してほぼ数 時間後、遅くも半日以内にはアクセスできるようにしたので、この面での不満は聞か れなかった.プリーナリーセッションに関しては、ビデオ動画撮影も行い、会議に参 加していない人には、翌日までには発表の様子をウエッブを通して見られるようにし た。

総じて、会議運営については不満はほとんど聞かれず、賛辞ばかりであったので、 おおむね順調に行ったと考えても自画自賛ではないと思う。

3.一般講演とソーシャルプログラム

一般講演:

7月30日(日)の中日には、会議参加者がツアーに出かけて留守にな り、空いた会場を使って一般市民向けの講演会を催した。講師は1990年度ノーベ ル物理学賞受賞者で米国マサチューセッツ工科大学のフリードマン教授にお願いした 。講義題目は、「全てのものはクォークからできている? (原題:Are we really made of quarks ? )」であった。教授の用意したものと全く同一のOHPトランスペ アレンシーの日本語版を作成して同時投影し、教授の講演を逐次日本語に訳しながら ほぼ1時間半ほどの講演となった。これは、仁科記念財団との共同企画で仁科記念講 演として実施されたものであるが、大阪市後援、大阪国際交流センターの共催でもあ った。600名以上の聴衆が集まり非常に盛況であった。この種の講演としては例外 的な数であるとセンターもびっくりしていたほどである。特に、講演後大学生などの 若い人たちが講師を取り巻き質問責めにしていたのが印象的であった。

ソーシャルイベント:

今回は同伴者を含めた外国人参加者が36カ国900人もあり 、ソーシャルプログラムには心を砕いた。

夕べの催しとしては、文楽座の吉田文吾氏他2名に会場に来て戴き、文楽人形の演 技と操作の解説を行う文楽入門、鯉沼廣行氏、金子由美子氏の横笛と辻幹雄氏による 十一弦ギターの夕べなど一流の芸術家による催しを行った。文楽入門の翌夕の文楽劇 場での本公演には300名を越える参加者があった。文楽劇場の好意により抽選で20名 の参加者には楽屋裏も見ていただいた。

初日には、同伴者のためのオリエンテーションを行い、大阪ぶらぶらと称して一般 ボランティアなど26名が、それぞれ3〜4名程度のグループを率いて、下町やミュ ージアムなどを案内した。この企画は、同伴参加者のみならずボランティア側からも 好評であった。また、主催者の奥様方によるお花とお茶の講習会、奈良女子大学生ボ ランティアによる琴・能の演技と奈良の案内、また、普段は未公開の櫓見学を含む大 阪城見学など、盛り沢山な催し物で同伴者にも楽しんで戴けたようである。

会議の中日は、息抜きの日として大阪、京都、奈良および世界民俗芸能祭へのバス ツアーが組まれた。これらのツアーは日本交通公社に全面的に任せて、主催者はほと んど関与しなかったが、英語での案内もしっかりしたものだったらしく全般的に好評 であった。

7月31日(月)の夕べはホテルニューオータニで立食形式のバンケットが催され た。世界中から集まる参加者の交歓の場として非常に盛況であり、閉会を宣言した後 も多くの人が去らずにワインを片手に歓談していたのは印象的であったが、厳しい予 算と人並みはずれた高エネルギー物理学者の食欲のため、食事の量は十分だったとは 言えず、改めて食事をとりなおした参加者も居たと後で聞いた。今後の会議の大きな 課題である。

4.会議の主な話題

会議のプログラムは、世界の高エネルギー物理学の過去2年間の活動を全て網羅す るもので、とても全部を尽くすことはできない。いずれ、どなたかの詳しい解説が行 われるという前提で、今回は私の独断と偏見での切り口となることをお許し願いたい 。

1)BelleとBaBar:

最大のハイライトは、やはり我が国のKEKと米国SLACで 新しく立ち上がったBファクトリーからの始めての結果発表であろう。SLACの BaBarは米国とヨーロッパを中心とした550人のグループ、KEKのBelleグル ープは、米国からの参加者は有力な勢力ではあるものの、どちらかというとアジアと 東欧を主体とした200人のグループで、しかも研究内容、測定手法が似ていたことか ら、内容以外に2グループの競争という観点からも注目を浴びた。BaBarは半年早く スタートした利点をまだ失わず、加速器の積分ルミノシティに関しては、Belleの6.8 fb-1 に対して14.8fb-1 を集め、そのうち9.1fb-1をCPの破れの検証に使っ たので、データ量としてはやや多い。しかし、モードによっては、Belleグループが 先行しているものもある。いずれにしろ、両グループとも短期間に驚異的なスピード で成果を出したことに対し、聴衆の惜しみない賞賛が送られた。

成果のうち、最も関心の深い小林ー益川のユニタリー3角形の角度 phi1 (もしくはbeta) 測定に関しては、

sin2phi1 = 0.12±0.37±0.09 BaBar
= 0.80+0.44-0.5 ( J/Psi KLを含めず) Belle
= 0.45+0.43-0.44 (J/Psi KLを含む) Belle

と言うデータが出された。誤差の範囲内で、両者は一致しさらに標準モデルとも一致 する(矛盾しない)というのが専門家の見方である。ちなみにCDFのデータは、 0.79+0.41-0.44 である。しかし、新聞記者会見では、Belleの結果は90%の確率で標 準理論に合うとBelle代表者の高崎氏が公言したのに対し、BaBarデータの中心値が標 準理論から離れていることに記者達の質問が集中した。標準理論からずれていると言 う結論を何とか引きだそうとして、BaBar代表者のHitlin氏を困らせていた。

2)ニュートリノ:

第2のハイライトはニュートリノであろう。中でもスーパーカ ミオカンデ測定器(以下SKと略称)によるニュートリノ振動発見の追試となる長基 線ニュートリノ振動実験K2Kの出した最新の結果が注目された。現時点で遠隔地検 出器すなわちSK測定器による有効体積範囲内に検出された事象数は27(全体では 43)であった。KEK敷地内の近接検出器での観測から推測されるSK事象数は、 振動無しの仮定で 40.3±4.6、振動ありの仮定で(Delta m2 = 3x10-3eV2)で26.6±3.3で あるので、振動が無いと言う仮説は2sigmaで除去されるとした。いずれ、フェルミラボ のMINOSやセルンでのCNGSでの長基線ニュートリノ振動実験で tau neutrino 出現の実験がなさ れるであろうが、現時点では日本の成果がトップを走っている。

太陽ニュートリノでは、カナダSudbury のSNO実験が動き出したというニュース が話題であったが、太陽ニュートリノ検出には成功しているものの、まだ定量的なデ ータを出す段階には来て居ない。一方、SK検出器による日夜変化とスペクトルの精 密解析により、小角物質振動解と真空振動解がほぼ除外されたというニュースが話題 になった。残る解は大角混合解であり、大気ニュートリノ振動も大角混合であること を見ると、レプトンセクターでの混合はクォークセクターとどうも様子が違うらしい 。

こうしたニュースに刺激されたのであろう。ニュートリノパラレルセッションは上 記のビッグニュースを終えて、小会場に移動した後も 人気があり、KAMLAND の話など建設段階の報告であるにもかかわらず会場があふれたほどであった。ちなみ に太陽ニュートリノの大角物質解はKAMLAND実験の検証可能範囲である事に注 意を喚起したい。

3)付加次元(Extra Dimension)(以下EDと略す)

個人的な話をして恐縮であるが、わたしは、この国際会議ではいろいろな気がかり があってどのセッションにも出る気になれないで居た。バンケットが終わり、私の出 番がほぼ終了したところでようやく気が楽になり、たまたまあった L. Hall 氏の「 標準理論の彼方(講演者自身の題は A Tale of Two Towers=二都物語ならぬ二塔物 語?)」に出る気になったのである。何の気なしに出たのであるが、講演を聞いてシ ョックを受けた。EDがあったら現象的にどのような検証ができるかという話は以前 から知っていたが、際物の一つとして気にもとめないでいたのである。それがなんと EDはゲージ理論のパラダイムであった重力スケールとしてのプランク質量、大統一 に付随する大砂漠を不要にしてしまう可能性を秘めていると言う。以下は私なりの理 解である。間違っていたら修正して欲しい。

われわれの住む空間が、時間を除いてD次元でD=3+dのときdを付加次元(ED )と言おう。この時の重力の強さはr(2+d)で減衰する。 EDがある時の重力の基本 スケールをMDとし、ED空間がR程度の有限の大きさしか持っていないとすると、プ ランク質量 Mpとは、
p2=(MDR)dD2 ==> R= 10(32/d)-19(m) : MD=1TeVのとき
と言う関係にある。d=1は否定されるが、d=2ではR~mmとなり、実験的に許容 範囲となる。R~mmであれば、重力による励起(KK励起;KK= Kaluza-Klein)のエネ ルギー間隔は~ 1/R ~ 10-4 eVとなり、質量スペクトルはほとんど連続である。グラ ヴィトンと通常粒子(例えばee gamma)との結合は重力相互作用であるので、大きさは~1/ Mpであるが、グラヴィトン放出の位相空間体積がMp2に比例するので、結局、断面 積はee gamma nu nu反応と同程度になり、高エネルギーコライダーで検出可能となる。モデル によっては ee 対の共鳴生成も可能である。標準理論は実験的に10-17cmまで正しい から、重力以外の相互作用に関しては、少なくもR<10-17cmまではEDの入る余地はな い。したがって上記の議論は重力以外の相互作用にはEDが無いが、重力にはEDが有る という仮定に基づいている。この仮定は紐理論ではそう突飛なアイデアではないそう だ。

さて、重力以外の相互作用にもEDが適用されるとしよう。ED空間の大きさを1/R ≡MF (>>TeV) とすれば、ゲージ結合定数の発展は、スケール mu > MFで、ED空間での 励起による粒子群の寄与を含むので、発展の速度が ln muからmuのべき乗(指数はdに 依存する)に変わり、大統一スケールをMGUT~1016GeVから大幅に下げることができ るという (図1 ED統一の図参照).

FがTeV領域から遠くない領域に有れば、電弱スケールの~1TeVは超重力理論におけ るようなプランク質量から導かれる量ではなく、それ自体本質的な量とみなすことが できる。階層問題や大砂漠は存在しない!

このほか、シーソーメカニズムを使わずにニュートリノの質量を小さくできるとか 、宇宙項も計算できるとか、あちこちでEDの話を聞いた。もとよりそれぞれの議論は EDの性質のうちの都合の良いところだけを取り込んでいるので、全体的な整合性があ るかどうかを見極めるのはこれからの課題である。私には、ED関連の理論的論文が これから大量生産されるのではないかという予感がする。

4)インフレーションモデルの直接証拠:

さて、もっと地に足のついた、しかし大 きな話題を紹介しよう。COBEによる宇宙の背景輻射(CMB)の観測で、インフレーショ ンモデルの予言する原始ゆらぎが発見されたことは良く知られている。今回は、バル ーン観測(BOOMERANGとMAXIMA)で、CMBのパワースペクトルにおける最初の山が 観測され、インフレーションモデルの予言と一致したという報告である。数年前には I型超新星の観測から宇宙項 がゼロでなく、Lambda~0.3-2.5という値が報告されている。 宇宙の質量観測値 Omega~0.3を入れ、Lambda+Omega =1というインフレーションモデルの制約を課 すと、Lambda~0.7となる。今回の観測はLambda+Omega=1という値を直接証明する始めての本格的な証 拠を与える。ひと頃騒がれた宇宙年齢とハッブル定数の矛盾も回避でき、全ての観測 値
0=62-83km/sec/Mpc, Omega=0.25-0.48, Lambda=0.75-0.52
が互いに整合性を持つ値に落ち着きつつある。結論は、"宇宙項はゼロでない"、そし てインフレーションはパラダイムとなった ?

5)その他:

まだまだ面白い話題はあるが、きりがないので後は列挙するにとどめ る。

終わりに

今回は、会議開催経験の無いしろうと集団で準備を行ったため、全てが試行錯誤で あり、よく無事に終えることができたなと言うのが正直な感想である。登録料のみで は会議費用の半分しかまかなえないので、国費以外に募金援助を仰がざるを得なかっ た。困難な経済事情にもかかわらず産業界の諸団体、会社、各種助成団体のご協力を いただき、無事に会議を終えることができたことを感謝します。

不景気の折から、会議が始まるまで企業寄付の見通しが付かず、企画を会議屋に任 せることができなかったので、節約を旨とし、すべて仲間内の手作りで行うという方 針を貫いた。このため準備実行委員会の方々の手と暇を大きく煩わした。関西圏の大 学、高エネルギー加速器研究機構のかたがたの献身的な協力奉仕がなかったらとても 実現できなかったであろう。ここで、改めて感謝の意を表したい。